プロゲーマーの歴史について調べてみた②~日本初のプロゲーマーの誕生と挫折
プロゲーマーの歴史について調べてみた①~名人とタレントゲーマーの時代 - ゲームのブログ
↑前回の記事はこちら。
日本初のプロゲーマーの誕生
日本初のプロゲーマーが誕生したのは 2005年のこと。
アスク、SIGUMA選手のスポンサーとしてCPL2005に参戦
CPL2005ツアーの商品総額は100万ドル(約1億300万円)。この世界9カ所で行われる大規模な国際大会のスポンサー契約を、PC周辺機器メーカーの株式会社アスクと締結した。このSIGUMAこと寺部鉄平が日本発のプロゲーマーである。
4Gamer.net: 2005/02/17 19:49:09 / 「カウンターストライク」国内有力クランがプロ化に向けて活動を開始
SIGUMAのスポンサード契約に続き、当時国内最強といわれていたCSのクラン「Four Dimension」が株式会社才民のスポンサードを受け、プロチーム「4dN.psymin」としての活動を開始する。もちろんターゲットはCPLやWCGという世界戦だ。
2005年、プロゲーマー元年、eスポーツに夢を見た
10年前の2005年、日本はプロゲーマー元年だった。
まだまだ色物扱いではあったのだが、ゲームメディアだけでなく、一般メディアでも「プロゲーマー」「eスポーツ」という言葉が登場し始めていた(バズワードとしてだったのかもしれないけれど)。
そして、当事者たちも、心の片隅で、数年後には日本でもeスポーツが市民権を得てプロリーグができるのではないか、ゲームだけで食べていくことができるのではないか、と、信じれるだけの熱量があったように思える。
下記のインタビューやドキュメントは、当時の空気がわかる資料。
SIGUMAと4dN.PSYMIN、夢の跡
残念なことに、このムーブメントは失速するのが早かった。
彼らの活躍が認められ、eスポーツがブームになり、スポンサー企業がPC周辺機器の企業だけでなく一般企業に波及する、ということがなかっただけでなく、そもそものスポンサード契約さえ継続できない有様だった。
SIGUMAは、CPL2005が終了すると、株式会社アスクとのスポンサー契約を更新することはなかった。自らの名を冠したデバイスのサイトを立ち上げるも、その後、更新は途切れがちになり、現在はサイト自体が消滅している。
4dN.PSYMINは、スポンサーである株式会社才民からの支援が受けられなくなり、無期限で活動停止となっている。チームリーダーのKeNNYは、別の形で活躍することになるのだが、それは後述する。
両者ともに、スポンサードを打ち切るということは、それだけの宣伝効果がなかったということなのだろう。周辺機器メーカーがスポンサー契約を打ち切るというのは厳しい状況に見える(親和性が高く、効果が最大化される関係なので)。
周辺機器メーカーでさえそんな状況だ。コンシューマ大国である日本では、やはりPCで遊ぶFPSの認知度は低いままであり、eスポーツが喧伝されても、市民権を得るまでスケールはしなかった。
一般企業にとってみればスポンサードする理由が見つからなかったのである。
↓その③に続く。