ゲームのブログ

都内で働く、とあるゲームプロデューサーのブログ

プロゲーマーの歴史について調べてみた①~名人とタレントゲーマーの時代

ソシャゲ会社がeスポーツのプロチームをスポンサード

 

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Aimingは「剣と魔法のログレス」というソーシャルゲームを開発・運営している会社。社長の椎葉忠志は、以前に在籍していたゲームオンで「REDSTONE」をヒットさせたこともある。オンラインに繋がるゲームが得意な人物っぽい。

 

代表・マネージャー紹介 | 株式会社 Aiming(エイミング)

 

「DeToNator」は、ゲームオンが運営するFPS「Alliance of Valiant Arms」(AVA)で活動を開始したゲームチーム。最近は、AVAだけでなく、LoLやDota2など、活動の幅を広げているっぽい。

 

DeToNator Pro Gaming Team

 

昨今、盛り上がりつつあるeスポーツとプロゲーマー。

というわけで、日本のプロゲーマーの歴史について調べてみたよ。

 

そもそもプロゲーマーとはなんぞや

 

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プロゲーマーとはゲームプレイでお金を稼ぐ人のことである。

 

ゲームの大会で賞金を得たり、ゲームの大会に出るためのスポンサード契約で生活費を得たり(スポンサーの商品の宣伝をするためにも大会で勝たなくてはならない)、自著を出版したり、などなど。プロ野球選手がバットをゲームに持ち替えた感じ。

 

しかしながら、日本でプロゲーマーは成立しにくい。賞金の出るゲームの大会などが少なく、そもそもプロゲーマーという職業が存在しないためだ。

 

プロ野球リーグがあるから、プロ野球選手が存在するけど、プロゲームリーグがなければ、プロゲーマーは存在しない。

 

海外ではPCゲームが人気だった。プロゲーマーが取りざたされる、北米・韓国は、早い段階でインターネット網が普及し、FPSRTS、MOBAなどで対戦する文化があり、多額の賞金がでる大会が多数あった。

 

日本はコンシューマゲームの文化だ。日本の子供はファミコンで育ち、DQドラクエ)やFF(ファイナルファンタジー)で育った。PCでネット対戦するゲームより、MH(モンハン)で共闘することを好む国民性。

 

そもそも海外とは事情が異なるわけだ。

 

ゲームの名人の時代

 

とはいえ、日本はコンシューマ大国である。ゲームにかかわる有名人は存在した。

 

時は1985年、ファミコンブームの真っ只なか、ハドソンの宣伝部社員として全国キャラバン(スターフォース)で子供たちから絶大な人気を受けていた、高橋名人

 

高橋名人 | TAKAHASHI MEIJIN OFFICIAL SITE

 

ほかにも、毛利名人ハドソン)、橋本名人(バンダイ)、尾花名人(コナミ)、辻名人(テクモ)など、さまざまな名人がいた。

 

しかし、彼らは各社の営業担当だった。ゲームが得意で仕事にしている、というわけではなく、会社から給料をもらって宣伝をしているに過ぎず、名人ブームは、プロゲーマーの文脈で語ることはできない。

 

そして名人たちの人気はファミコンブームの衰退とともに去っていった。

 

タレントゲーマーの時代

 

それから約10年後、対戦格闘ゲームの時代がやってきた。

 

1994年に登場した「バーチャファイター2」が爆発的なヒットを記録。VF2の有名プレーヤーとして、ブンブン丸、新宿ジャッキー、柏ジェフリー、キャサ夫、などの面子が、ASAYANなどのテレビ番組で全国放送され人気となった。

 

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彼らがプロゲーマーかというと、やっぱり違う。ゲームが得意でテレビに出て、そこから仕事や収入を得たりしてるわけだけど、ゲームプレイで収益を得ているわけではなかった(バーチャ2の大会があって賞金1000万円!とかないしね)。

 

バーチャファイター2のブームは少し早すぎたのかもしれない。海外でeスポーツの土壌が整っているタイミングであれば、バーチャファイター2が競技種目となり、彼らがプロゲーマーとして活躍する道もあったのかもしれない。

 

米国でeスポーツらしき動きが生まれたのは1997年。ジョン・カーマックが自己所有のフェラーリを大会の優勝商品にしたり、世界で最初のプロリーグCPL(Cyberathlete Professional League)が生まれたのが、1997年だったから。

 

1994年の時点では、海外でeスポーツの大会があるわけでもなく、国内の大会で多額の賞金が得られるわけでもなかった。当時だとゲーメスト杯(懐かしい!)くらいしかなかった、日本で有名な闘劇は2003年まで待たなくてはならなかった。

 

タレントゲーマーたちは、格闘ゲームブームの衰退とともに姿を消していった。その後、ブンブン丸ファミ通で編集者をしているように、ゲームの仕事に身を置いているのは、なんだかうれしくはあるけれど。 

 

プロゲーマー誕生前夜

 

日本でプロゲーマーが誕生するには、少なからず海外のゲーム事情に追いつく必要があった。

 

PCでゲームを遊ぶ文化が根付き、インターネット上で対戦ができる環境が整い、そこから生まれたゲーマーが、海外でeスポーツが人気を集めていることを知り、そのコミュニティに参加する必要があった。

 

WinXPが発売された2001年くらいだろうか。ADSLの普及で、日本でも常時接続が主流になってくると(テレホタイム意外は電話代が必要な時代もあったのだ!)、PCオンラインゲームが米韓から輸入され、PCゲームの文化が芽吹いた。

 

 

これらMMORPGのゲーム群と平行して、世界でもっとも多く遊ばれているオンラインゲームのひとつが産声をあげたのも、この時代。FPS(ファースト・パーソン・シューティング)のひとつ、CS(カウンターストライク)だ。

 

 

後にリリースされたCS1.6はCPLCyberathlete Professional League)やWCG(World Cyber Games)など、世界規模のゲーム大会での競技種目となった。まだまだ日本ではマイナーなFPSだったが、その後の有名プレーヤーを育てたのである。

 

ちなみに、CPL米国で行われる国際的なeスポーツ大会で、WCGは韓国で行われる国際的なeスポーツ大会。いずれも多額の賞金が発生する、これらの大会に参加する、日本初のプロゲーマーが生まれたのは、2005年のことだった。

 

↓その②に続く。

プロゲーマーの歴史について調べてみた②~日本初のプロゲーマーの誕生と挫折 - ゲームのブログ